ワタクシ伊藤、施術する前は大抵少し眠ります。ほんの20分くらいだけど横になる。すっかり癖になっていますが、いわば一種の瞑想かと思います。

 

今週も認定に挑んだ塾生を返り討ち。何がイマイチなのか気付いてもらいたくて何度も施術をうけてもらいました。施術自体は一応形になっています。出来ていることはできている。問題は何か。

手力整体の特徴のひとつに、術者が疲れないというのがあります。ただしコレは“肉体的”にという意味です。丹田をコントロールしてテコを最大限に活用すると、施術で疲れたり身体を痛めたりすることは先ずありません。206個の骨と600余りの筋肉を総動員。身体を”ひとつ”にして使えば、負担は分散してしかもとてもパワフルになります。まったく偶然ですが合気道などと理屈は同じようです。

肉体的に疲れる施術はダメですが、気持ちが疲れない施術はもっとダメ。

肉体的には疲れませんが、精神的には疲れます。ひとつひとつの手に気を配り楽になって欲しいと気持ちを込めますから、特に初診の患者さんを施術したあとはかなりの疲労感が襲います。(と、同時にある種達成感もありますが)

小・中・高の教育が知識詰め込み型だからなのか、『何をどうする』というところに注目してしまう人はとても多いように思います。それだけ答えられれば良い点数がもらえますからね。ところが『何をどうする』というテストの答えみたいな施術は、とても機械的なものになってしまいます。旅行のレポや映画・読書の感想文が荒スジになってしまうのも同様。“私は”という個人の感情がなく、そこにあるのはプログラミングされたロボットでも可能な単なる作業です。

作業には肉体的な疲れしかありません。それは手力整体の目指しているところとまったく正反対。肉体的には疲れず、気持ちはクラクラするほど疲れる。そうなってこそ、クライアントの大切な身体に触れるというものだと思います。

映画『ベストキッド』に「見るな、感じろ」という名台詞がありますが、つまりそういう事だと思います。肉体の感覚器は使いますが実際に“感じる”のは気持ちです。だから必死に感じようとすば気持ちはヘトヘトに疲れるのです。
何を【見た・聞いた・嗅いだ・食べた・触った】・・・・は重要ではありません。見て・聞いて・嗅いで・食べて・触って・・・・私はどう感じたかを大切にしていきましょう。何事も考えるのは後。感じるのが先です。

 

そういえば・・・英語ではありえないようですが、日本語だと“主語抜き”は良くありますね。【横並びが好き】【皆一緒が良い】という国民性がそうしているのかも知れませんが、きちんと主語を入れて話すようにするだけでも、何かが変わっていくかもしれません。

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ベスト・キッド はジャッキーチェンのリメイクもありますが・・・・やっぱりミヤギさんでしょう!